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掛け軸 横山大観『無我』

掛け軸 横山大観『無我』
掛け軸 横山大観『無我』

価格:129,150円

←画像をクリックすると拡大表示されます 画 題無我(むが)解 説こちらは、近代日本画を拓いた巨匠の出世作です。

「無我」とは仏語で世の無常に己の存在を否定する意がありますが、大観はそれを幼児の天真爛漫の姿に見立てました。

くわい頭の童子が奈良時代のキョウケチのほうをルーズにまとい、大人の草履を引きずっています。

また、あどけない顔はどこを見るでもなく、殆ど呆然とあらぬ彼方を見つめています。

足元にはスミレが咲き、川辺では猫柳が春を待ちかねて蕾を膨らませ、何よりも河水のブルーが目の覚めるような感覚を覚える作品。

心なしか猫柳も春風に揺れているような・・・。

明治30年春の日本絵画協会第2回共進会に出品され銅賞牌を受けた時、報知新聞では、「無我は無我にあらず大いに野心を筆致に存するに似たり」と、その発想の妙を称えた記事を掲載したそうです。

寸 法185cm×63cm作 家横山大観(よこやま・たいかん)略 歴ページ上(↑)をご覧下さい。

監 修横山隆(横山大観記念館理事長)原 本所 蔵東京国立博物館版 式特殊オフセット多色刷・シルク補色用 紙代用絹本(化繊)表 装三段表装材 料[天地] 白茶無地緞子[中廻し] 薄茶地牡丹唐草文緞子 [風帯] 一文字、二重蔓唐草文金襴 [軸先] 花梨 [箱] 柾目桐箱、タトウ入り 特 記原画を忠実に再現していますが、ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。

また、表装の裂地(きれじ)は特織謹製しておりますが、万一品切れの場合は、類似模様の裂地にてお仕上げいたしますので合わせてご了承下さい。

特 典掛軸小物(桐箱・風鎮・矢筈)をセットにした、初心者のお客様にも安心のお値打ちサービスです!※こちらの作品は、納品までに、お時間がかかる場合がございます。

予めご了承くださいませ。

詳しい日付につきましては、ご注文後にメールにてご連絡いたします。

文化勲章受賞の名誉に輝く、近代日本画を拓いた巨匠横山大観 画伯 ●略歴明治元年 茨城県水戸市に生まれる・本名秀麿明治22年 東京美術学校に第一期生として入学、26年卒業明治29年 東京美術学校図案科助教授となる明治30年 日本絵画協会共進会に「無我」を出品、銅賞碑を受賞明治31年 校長岡倉天心らとともに辞職し日本美術院創立に参加明治36年 菱田春草とインドへ外遊明治37年 天心、春草らと渡米、各地で作品を展覧してまわる明治38年 米国より欧州に渡り、各国を廻って帰国明治39年 日本美術院・茨城県五浦に移転、春草・下村観山らと移住明治40年 第1回文展開催、審査委員を務める明治42年 上野池之端に新居を構える明治43年 寺崎広業らと中国旅行大正2年  天心逝去し、観山らと日本美術院再興を計画大正3年  東京谷中に日本美術院を再興、経営者・同人となる昭和5年  ローマ日本美術展開催、美術使節としてイタリアを訪問昭和6年  帝室技芸院員となる昭和10年 改組帝国美術院会員となる昭和12年 帝国芸術院会員となり、第1回文化勲章受賞昭和33   逝去、第三位勲一等旭日大綬章を追贈される、享年89歳 

投稿者 geta8204

掛け軸 横山大観『朝陽映島』

掛け軸 横山大観『朝陽映島』
掛け軸 横山大観『朝陽映島』

価格:102,900円

←画像をクリックすると拡大表示されます 画 題朝陽映島(ちょうようえいとう)解 説富士山は、日本人の全てが親しみ、また、日本の象徴でもあります。

近代日本画の巨匠、横山大観は、富士を愛し、その窮まりない永遠の美を求めて生涯に渡って描き続けたので、富士の大観としても良く知られています。

「富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ。

つまり己の心を高めることだ」と言って、富士山容に正面から挑み日々新たな創造に向かったのが大観の富士画です。

大きくうねる大洋の彼方に、瑞雲がたなびき、悠容迫らぬ不同の富士が聳えます。

群青で彩られた波や富士は旭日に映え、気韻に満ちます。

のどかな新春の富士です。

寸 法134.5cm×67.5cm(掛軸の全体寸)画 法40.0cm×48.4cm(描画部分)作 家横山大観(よこやま・たいかん)略 歴ページ上(↑)をご覧下さい。

監 修横山隆(横山大観記念館理事長)原 本所 蔵永青文庫用 紙特製絹本表 装三段表装材 料[天地] 洛北緞子[中廻し] 嵯峨緞子[風帯] 金襴[軸先] 新象牙[箱] 柾目桐箱 特 記原画を忠実に再現していますが、ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。

また、表装の裂地(きれじ)は特織謹製しておりますが、万一品切れの場合は、類似模様の裂地にてお仕上げいたしますので合わせてご了承下さい。

限定2,000部の復刻掛軸です。

特 典掛軸小物(桐箱・風鎮・矢筈)をセットにした、初心者のお客様にも安心のお値打ちサービスです!※こちらの作品は、納品までに、お時間がかかる場合がございます。

予めご了承くださいませ。

詳しい日付につきましては、ご注文後にメールにてご連絡いたします。

文化勲章受賞の名誉に輝く、近代日本画を拓いた巨匠横山大観 画伯 ●略歴明治元年 茨城県水戸市に生まれる・本名秀麿明治22年 東京美術学校に第一期生として入学、26年卒業明治29年 東京美術学校図案科助教授となる明治30年 日本絵画協会共進会に「無我」を出品、銅賞碑を受賞明治31年 校長岡倉天心らとともに辞職し日本美術院創立に参加明治36年 菱田春草とインドへ外遊明治37年 天心、春草らと渡米、各地で作品を展覧してまわる明治38年 米国より欧州に渡り、各国を廻って帰国明治39年 日本美術院・茨城県五浦に移転、春草・下村観山らと移住明治40年 第1回文展開催、審査委員を務める明治42年 上野池之端に新居を構える明治43年 寺崎広業らと中国旅行大正2年  天心逝去し、観山らと日本美術院再興を計画大正3年  東京谷中に日本美術院を再興、経営者・同人となる昭和5年  ローマ日本美術展開催、美術使節としてイタリアを訪問昭和6年  帝室技芸院員となる昭和10年 改組帝国美術院会員となる昭和12年 帝国芸術院会員となり、第1回文化勲章受賞昭和33   逝去、第三位勲一等旭日大綬章を追贈される、享年89歳 

投稿者 geta8204

掛け軸 横山大観『曳船』

掛け軸 横山大観『曳船』
掛け軸 横山大観『曳船』

価格:168,000円

←画像をクリックすると拡大表示されます 画 題曳船(ひきふね)解 説こちらは横山大観による典型的な朦朧体(もうろうたい)の作品です。

朦朧体とは、一口で言えば線なしの色彩画で、東洋絵画で最も尊重した線描を追放したのですから、当時の鑑賞界では悪魔のように嫌われて売れず、それを推進した岡倉天心らの前期日本美術院はわずか5年間続いただけで実質的に崩壊してしまいました。

何故、こんな危険を敢えてしたか、それは信念に基づく天心の指導精神があります。

天心は東西の美所を取る和洋折衷によって、新時代に相応しい復興を図ったのです。

その第一の実験が朦朧体だったわけです。

それから5年後、五浦に移転した日本美術院研究所で、「写実を制作の目的とせよ」と、従来の理想的方向の大転換を図り、これが初期文展を飾ることになります。

色彩を明るくするこの新しい方向は徐々に人々に受け入れられていき、いつしか誰もが朦朧体を認め、大観らはここに日本画近代化を果たしたのです。

寸 法192.5cm×69cm作 家横山大観(よこやま・たいかん)略 歴ページ上(↑)をご覧下さい。

監 修横山隆(横山大観記念館理事長)原 本所 蔵足立美術館版 式特殊美術印刷多色刷用 紙特製絹本表 装三段表装材 料[天地] 白茶無丸華文緞子 [中廻し] 濃茶地線上り牡丹文緞子 [風帯] 一文字、紫地小唐草華文金襴 [軸先] 牙代用 [箱] 柾目桐箱、タトウ入り 特 記原画を忠実に再現していますが、ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。

また、表装の裂地(きれじ)は特織謹製しておりますが、万一品切れの場合は、類似模様の裂地にてお仕上げいたしますので合わせてご了承下さい。

特 典掛軸小物(桐箱・風鎮・矢筈)をセットにした、初心者のお客様にも安心のお値打ちサービスです!※こちらの作品は、納品までに、お時間がかかる場合がございます。

予めご了承くださいませ。

詳しい日付につきましては、ご注文後にメールにてご連絡いたします。

文化勲章受賞の名誉に輝く、近代日本画を拓いた巨匠横山大観 画伯 ●略歴明治元年 茨城県水戸市に生まれる・本名秀麿明治22年 東京美術学校に第一期生として入学、26年卒業明治29年 東京美術学校図案科助教授となる明治30年 日本絵画協会共進会に「無我」を出品、銅賞碑を受賞明治31年 校長岡倉天心らとともに辞職し日本美術院創立に参加明治36年 菱田春草とインドへ外遊明治37年 天心、春草らと渡米、各地で作品を展覧してまわる明治38年 米国より欧州に渡り、各国を廻って帰国明治39年 日本美術院・茨城県五浦に移転、春草・下村観山らと移住明治40年 第1回文展開催、審査委員を務める明治42年 上野池之端に新居を構える明治43年 寺崎広業らと中国旅行大正2年  天心逝去し、観山らと日本美術院再興を計画大正3年  東京谷中に日本美術院を再興、経営者・同人となる昭和5年  ローマ日本美術展開催、美術使節としてイタリアを訪問昭和6年  帝室技芸院員となる昭和10年 改組帝国美術院会員となる昭和12年 帝国芸術院会員となり、第1回文化勲章受賞昭和33   逝去、第三位勲一等旭日大綬章を追贈される、享年89歳

投稿者 geta8204

掛け軸 富士霊峰(横山大観)

掛け軸 富士霊峰(横山大観)
掛け軸 富士霊峰(横山大観)

価格:128,100円

↑画像をクリックすると拡大表示されます 画 題富士霊峰寸 法縦136.0cm×横70.5cm(尺八横) 作 家横山大観(よこやま・たいかん) 略 歴ページ上(↑)をご覧下さい。

 様 式多色刷り美術印刷体 裁表装: 三段表装  軸先: 白象牙代用 本紙: 絹本 特 記複製画。

原画を忠実に再現していますが、ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。

予め御了承くださいませ。

特 典全国送料無料。

掛軸小物(桐箱・風鎮・矢筈)をセットにした、初心者のお客様にも安心のお値打ちサービスです!★こちらの掛け軸には、飾る高さを調節できる鉄自在鉤もお付けします!富士霊峰(横山大観)◆ 横山大観画伯 略年譜 ◆ 明治元年茨城県水戸市に生まれる・本名秀麿明治22年東京美術学校に第一期生として入学、26年卒業明治29年東京美術学校図案科助教授となる明治30年日本絵画協会共進会に「無我」を出品、銅賞碑を受賞明治31年校長岡倉天心らとともに辞職し日本美術院創立に参加明治36年菱田春草とインドへ外遊明治37年天心、春草らと渡米、各地で作品を展覧してまわる明治38年米国より欧州に渡り、各国を廻って帰国明治39年日本美術院・茨城県五浦に移転、春草・下村観山らと移住明治40年第1回文展開催、審査委員を務める明治42年上野池之端に新居を構える明治43年寺崎広業らと中国旅行大正2年天心逝去し、観山らと日本美術院再興を計画大正3年東京谷中に日本美術院を再興、経営者・同人となる昭和5年ローマ日本美術展開催、美術使節としてイタリアを訪問昭和6年帝室技芸院員となる昭和10年改組帝国美術院会員となる昭和12年帝国芸術院会員となり、第1回文化勲章受賞昭和33年逝去、第三位勲一等旭日大綬章を追贈される、享年89歳 本紙拡大図

投稿者 geta8204

横山大観 神州第一峰・右隻(額装)

横山大観 神州第一峰・右隻(額装)
横山大観 神州第一峰・右隻(額装)

価格:262,500円

↑ 画像をクリックすると拡大表示されます 画 題神州第一峰・右隻解 説横山大観画伯は「有形の物象を借りて無形の霊性を象徴する」という、精神主義の下、この「神州第一峰・右隻」が完成しました。

旭日は悠久の未来を意味し、右に連なるのは箱根連山の現実世界を意味していると言われております。

「神州第一峰・左隻」と対の画です。

作 家横山 大観(よこやま・たいかん)寸 法画面寸法 縦35.0cm×横79.0cm額寸法 縦57.7cm×横101.6cm版式彩美版※、シルクスクリーン併用用紙特製版画用紙号数特25号額縁特製木製額縁 アクリル付き黄袋・タトウ入り付属品紐・吊金具入り重量約6.1kg部数限定150部証明奥付に著作権者印、限定番号入り監修横山隆(財団法人 横山大観記念館・館長)特 記複製画。

※ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。

ご了承ください。

特 典全国送料無料。

★壁に取り付けるための『金具フック』(→)もお付けします! ※彩美版(R)IWAE-E(岩絵)とは日本画特有の画材、岩絵具の質感と色調を再現するために生み出された画期的な技法です。

※こちらの作品は、納品までに、お時間がかかる場合がございます。

予めご了承くださいませ。

詳しい日付につきましては、ご注文後にメールにてご連絡いたします。

横山大観 『神州第一峰・右隻』本紙拡大図● 横山大観 画伯 略歴 ●明治元年茨城県水戸市に生まれる。

本名秀磨明治22年東京美術学校に第一期生として入学。

明治26年東京美術学校を卒業。

明治29年東京美術学校図案科助教授となる。

明治31年美術学校騒動。

校長岡倉天心らとともに辞職し、日本美術院創立に参加。

明治36年菱田春草とインド外遊する。

明治37年天心、春草らと渡米。

各地で作品を展覧。

明治38年米国より欧州に渡り、各国を回って帰国。

明治39年日本美術院、茨城県五浦に移転。

春草・下村観山らとともに一家で移住。

明治40年第一回文展開催に際し、審査員を務める。

明治42年上野池之端に新居を構える。

明治43年寺崎広業らと中国旅行。

大正2年天心逝去し、観山らと日本美術院再興を計画。

大正3年東京谷中に日本美術院を再興し、経営者・同人となる。

再興第一回院展を開催。

昭和5年ローマ日本美術院展開催。

美術使節としてイタリアを訪問。

昭和6年帝室技芸員となる。

昭和7年この頃、「神州第一峰」を描く。

昭和10年改組帝国美術院会員となる。

昭和12年帝国芸術院会員となり、第一回文化勲章受章。

昭和33年逝去。

正三位勲一等旭日大綬章を追贈される。

享年八十九歳。

投稿者 geta8204