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横山大観 【秋霽】(掛け軸)

横山大観 【秋霽】(掛け軸)
横山大観 【秋霽】(掛け軸)

価格:100,800円

← 画像をクリックすると拡大表示されます 画 題秋霽(しゅうせい)解 説《秋霽》の秋の長雨で水高を増した急流にぶつかります。

紅葉は散り始め晩秋の気配ですが、木はみな山の稜線に向かって呼応しています。

こちらは上空に空間をとり、五羽の四十雀が首をのばして気持ち良さそうに飛んでいます。

遠霞するのどかな春と爽涼の秋を工夫された構成によって見事に纏めています。

作 家横山 大観(よこやま・たいかん)寸 法軸寸法 縦181.0cm×横50.5cm紙面寸法 縦100.0cm×横34.5cm表 装三段表装体 裁天地:薄茶無地中廻:薄浅葱小花唐花緞子風帯・一文字:牙色蔓唐草金襴軸先:牙代用箱:柾目桐箱・タトウ入り※表装の裂地(きれじ)は特織謹製しておりますが、万一品切れの場合は、類似模様の裂地にてお仕上げいたします。

本 紙特製絹本版 式特殊美術印刷多色刷原 本所 蔵西宮市大谷記念美術館監 修横山隆(横山大観記念館・理事長)特 記複製画※ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。

ご了承ください。

特 典全国送料無料。

掛軸小物(桐箱・風鎮・矢筈)をセットにした、初心者のお客様にも安心のお値打ちサービスです!※こちらの作品は、納品までに、お時間がかかる場合がございます。

予めご了承くださいませ。

詳しい日付につきましては、ご注文後にメールにてご連絡いたします。

横山大観 『秋霽』本紙拡大図● 横山大観 画伯 略歴 ●明治元年茨城県水戸市に生まれる。

本名秀磨明治22年東京美術学校に第一期生として入学。

明治26年東京美術学校を卒業。

明治29年東京美術学校図案科助教授となる。

明治31年美術学校騒動。

校長岡倉天心らとともに辞職し、日本美術院創立に参加。

明治36年菱田春草とインド外遊する。

明治37年天心、春草らと渡米。

各地で作品を展覧。

明治38年米国より欧州に渡り、各国を廻って帰国。

明治39年日本美術院、茨城県五浦に移転。

春草・下村観山らとともに一家で移住。

明治40年第一回文展開催に際し、審査員を務める。

明治42年上野池之端に新居を構える。

明治43年寺崎広業らと中国旅行。

大正2年天心逝去し、観山らと日本美術院再興を計画。

大正3年東京谷中に日本美術院を再興し、経営者・同人となる。

再興第一回院展を開催。

昭和5年ローマ日本美術院展開催。

美術使節としてイタリアを訪問。

昭和6年帝室技芸員となる。

昭和10年改組帝国美術院会員となる。

昭和12年帝国芸術院会員となり、第一回文化勲章受章。

昭和14年この頃、本作品「春山雨後・秋霽」制作。

昭和33年逝去。

正三位勲一等旭日大綬章を追贈される。

享年八十九歳。

投稿者 geta8204

掛け軸 横山大観『秋雨』

掛け軸 横山大観『秋雨』
掛け軸 横山大観『秋雨』

価格:100,800円

←画像をクリックすると拡大表示されます 画 題秋雨(あきさめ)解 説なだらかな山稜を背に、一斉に右になびくはんなりした朱の紅葉で、画面下には石段を降りて渡る橋が通じています。

こちらも、前作<春雨>同様、気高く整理された構成で描かれていますが、根は南画風に出ています。

南画風とは、自由さと重厚さにあふれた作風のことで、大胆な造形と色彩が特徴。

しかし、換骨奪胎して痕跡を残さないのが大観の上手さと言えるでしょう。

行体のサイン「大観」と白文二重郭方印「鉦鼓洞主」があります。

寸 法181cm×46.5cm作 家横山大観(よこやま・たいかん)略 歴ページ上(↑)をご覧下さい。

監 修横山隆(横山大観記念館理事長)原 本所 蔵播磨屋本店版 式特殊美術印刷多色刷用 紙特製絹本表 装三段表装材 料[天地] 白茶地宝冠文緞子 [中廻し] 金茶地細蔓唐草文緞子 [風帯] 一文字、白茶地唐草文金襴 [軸先] 牙代用 [箱] 柾目桐箱、タトウ入り 特 記原画を忠実に再現していますが、ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。

また、表装の裂地(きれじ)は特織謹製しておりますが、万一品切れの場合は、類似模様の裂地にてお仕上げいたしますので合わせてご了承下さい。

特 典掛軸小物(桐箱・風鎮・矢筈)をセットにした、初心者のお客様にも安心のお値打ちサービスです!※こちらの作品は、納品までに、お時間がかかる場合がございます。

予めご了承くださいませ。

詳しい日付につきましては、ご注文後にメールにてご連絡いたします。

文化勲章受賞の名誉に輝く、近代日本画を拓いた巨匠横山大観 画伯 ●略歴明治元年 茨城県水戸市に生まれる・本名秀麿明治22年 東京美術学校に第一期生として入学、26年卒業明治29年 東京美術学校図案科助教授となる明治30年 日本絵画協会共進会に「無我」を出品、銅賞碑を受賞明治31年 校長岡倉天心らとともに辞職し日本美術院創立に参加明治36年 菱田春草とインドへ外遊明治37年 天心、春草らと渡米、各地で作品を展覧してまわる明治38年 米国より欧州に渡り、各国を廻って帰国明治39年 日本美術院・茨城県五浦に移転、春草・下村観山らと移住明治40年 第1回文展開催、審査委員を務める明治42年 上野池之端に新居を構える明治43年 寺崎広業らと中国旅行大正2年  天心逝去し、観山らと日本美術院再興を計画大正3年  東京谷中に日本美術院を再興、経営者・同人となる昭和5年  ローマ日本美術展開催、美術使節としてイタリアを訪問昭和6年  帝室技芸院員となる昭和10年 改組帝国美術院会員となる昭和12年 帝国芸術院会員となり、第1回文化勲章受賞昭和33   逝去、第三位勲一等旭日大綬章を追贈される、享年89歳

投稿者 geta8204

掛け軸 竹内栖鳳 『錦秋図』

掛け軸 竹内栖鳳 『錦秋図』
掛け軸 竹内栖鳳 『錦秋図』

価格:105,000円

← 画像をクリックすると拡大表示されます 画 題錦秋図説 明深まる秋。

紅葉した木の枝にとまり、くるりと逆さになった小鳥の姿が何とも愛らしい作品です。

 寸 法縦135.3cm×幅64.4cm(軸寸)縦39.8cm×45.1cm(画寸)作 家竹内 栖鳳版 式彩美版、シルクスクリーン併用体 裁【表装】三段表装【用紙】和紙【天地】白茶無地【中廻し】薄茶地菱地唐花文緞子 【風帯・一文字】牙地唐花文金欄【軸先】牙代用原 画所 蔵石橋財団 石橋美術館特 記限定300部。

複製画。

※奥付に所蔵先の検印入り 原画を忠実に再現していますが、ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。

ご了承ください。

特 典全国送料無料。

掛軸小物(桐箱・風鎮・矢筈)をセットにした、初心者のお客様にも安心のお値打ちサービスです!★こちらの掛け軸には、飾る高さを調節できる鉄自在鉤もお付けします!※こちらの作品は、納品までに、お時間がかかる場合がございます。

予めご了承くださいませ。

詳しい日付につきましては、ご注文後にメールにてご連絡いたします。

竹内栖鳳 『錦秋図』 【竹内 栖鳳 略年譜】1864年京都市に生まれる。

本名、恒吉。

1877年四条派の画家、土田英林に絵を学び始める。

1881年幸野楳嶺の私塾に入門。

棲鳳の号を与えられる。

1887年京都府画学校を卒業。

1895年京都市美術工芸学校の教諭に就任。

1898年日本美術院第一回展に「春郊細雨」を出品。

1901年棲鳳を栖鳳と改める。

1903年正八位に叙せられる。

1907年第1回文展の審査員となり、「雨霽」を出品。

1909年京都市立絵画専門学校教授となる。

1911年正七位に叙せられる。

1913年帝室技芸員となる。

1919年帝国美術院会員となる。

1921年正六位に叙せられる。

1922年従五位に叙せられる。

1924年フランス政府より、シュパリエ・ド・ラ・レジェン・ドメール勲章を贈られる。

1925年勲五等瑞宝章を授けられる。

1931年療養のため湯河原に赴く。

ハンガリー最高美術賞を贈られる。

1932年湯河原より帰洛。

ドイツ一等赤十字賞を受ける。

1937年第一回文化勲章を横山大観と共に受章。

1941年京都日本画家連盟が結成され、顧問となる。

1942年湯河原山荘にて逝去。

享年77歳。

    拡大図

投稿者 geta8204

竹内栖鳳 錦秋図 (額装)

竹内栖鳳 錦秋図 (額装)
竹内栖鳳 錦秋図 (額装)

価格:105,000円

↑ 画像をクリックすると拡大表示されます 画 題錦秋図説 明深まる秋。

紅葉した木の枝にとまり、くるりと逆さになった小鳥の姿が何とも愛らしい作品です。

 寸 法縦58.0cm×幅63.2cm(額寸)縦39.5cm×44.7cm(画寸)作 家竹内 栖鳳版 式彩美版、シルクスクリーン併用体 裁【用紙】和紙【額縁】木製額、アクリル付き【重量】約3.6kg 【付属品】黄布袋、吊り金具、紐付き原 画所 蔵石橋財団 石橋美術館特 記限定300部。

複製画。

※奥付に所蔵先の検印入り 原画を忠実に再現していますが、ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。

ご了承ください。

特 典全国送料無料、熨斗(のし)ラッピング無料、壁に取り付けるための『金具フック』(→)もお付けします!※こちらの作品は、納品までに、お時間がかかる場合がございます。

予めご了承くださいませ。

詳しい日付につきましては、ご注文後にメールにてご連絡いたします。

竹内栖鳳 『錦秋図』 【竹内 栖鳳 略年譜】1864年京都市に生まれる。

本名、恒吉。

1877年四条派の画家、土田英林に絵を学び始める。

1881年幸野楳嶺の私塾に入門。

棲鳳の号を与えられる。

1887年京都府画学校を卒業。

1895年京都市美術工芸学校の教諭に就任。

1898年日本美術院第一回展に「春郊細雨」を出品。

1901年棲鳳を栖鳳と改める。

1903年正八位に叙せられる。

1907年第1回文展の審査員となり、「雨霽」を出品。

1909年京都市立絵画専門学校教授となる。

1911年正七位に叙せられる。

1913年帝室技芸員となる。

1919年帝国美術院会員となる。

1921年正六位に叙せられる。

1922年従五位に叙せられる。

1924年フランス政府より、シュパリエ・ド・ラ・レジェン・ドメール勲章を贈られる。

1925年勲五等瑞宝章を授けられる。

1931年療養のため湯河原に赴く。

ハンガリー最高美術賞を贈られる。

1932年湯河原より帰洛。

ドイツ一等赤十字賞を受ける。

1937年第一回文化勲章を横山大観と共に受章。

1941年京都日本画家連盟が結成され、顧問となる。

1942年湯河原山荘にて逝去。

享年77歳。

    拡大図

投稿者 geta8204

掛け軸 菱田春草『春秋の滝(秋)』

掛け軸 菱田春草『春秋の滝(秋)』
掛け軸 菱田春草『春秋の滝(秋)』

価格:100,800円

←画像をクリックすると拡大表示されます 画 題春秋の滝(秋)解 説春草は天心によれば、中国の宋時代の後期あるいは宝町時代の作に注目して研究していたと言いますが、春の滝と同じように、この「秋の滝」はでも下方に滝壷や渓谷を暗示する大きな空間を表しているところが前述の研究の成果を示していると言えるでしょう。

そして、双幅としての構成もきちんと考えられています。

ちょっと胡粉をまぜて調子を落とした朱色の紅葉は上方にとらえ、葉を散らせて風の吹き始めた秋冷の季節と流れ行く季節を感じされます。

春秋とも単純な構図によりながら、計算された微妙な変化を見せています。

寸 法188.4cm×53.5cm画 寸99.5cm×35.5cm作 家菱田春草(ひしだ・しゅんそう)略 歴ページ上(↑)をご覧下さい。

表 装三段表装材 料[天地] 万象裂 [中廻し] 箔入貴船緞子 新緞子 [風帯] 金襴 [軸先] 新象牙 [箱] 柾目桐箱、タトウ入り(↓画像参照) 特 記原画を忠実に再現していますが、ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。

また、表装の裂地(きれじ)は特織謹製しておりますが、万一品切れの場合は、類似模様の裂地にてお仕上げいたしますので合わせてご了承下さい。

特 典掛軸小物(桐箱・風鎮・矢筈)をセットにした、初心者のお客様にも安心のお値打ちサービスです!※こちらの作品は、納品までに、お時間がかかる場合がございます。

予めご了承くださいませ。

詳しい日付につきましては、ご注文後にメールにてご連絡いたします。

近代日本画壇に燦然と輝く天才日本画家菱田春草 画伯 ●略歴明治7年 長野県飯田市に生まれる・本名三男治明治22年 兄為吉をたよって上京、狩野派の画家・結城正明に就いて日本画を学ぶ明治28年 東京美術学校絵画科を卒業、卒業制作「寡婦と孤児」は最優等を受けた明治31年 日本美術院創立に参加し正員となる明治39年 横山大観と共に、ニューヨーク・ワシントン・ロンドンで作品展を開催明治39年 日本美術院第一部(絵画部)が茨城県五浦に移転されるにあたり、横山大観らと共に同地に転居明治40年 国画玉成会創立にあたり、評議員となる明治41年 病気療養のため五浦を去り上京、代々木に転居明治42年 「春秋の滝」(双幅)制作明治44年 病状悪化し失明、9月16日逝去

投稿者 geta8204