久隅守景(くすみもりかげ) ?-1688-1704-?

久隅守景は江戸前期の画家です。しかし生没年などや伝記など詳しいことはわかっていません。

生まれ年・亡くなった年・場所

京都に生まれたと言われていますが、いつ生まれたかはわかっていません。亡くなった年も未詳です。

両親や親戚、家系のこと

父母ともに未詳です。狩野探幽の姪と結婚し、娘と息子をもうけました。娘は清原雪信(きよはらゆきのぶ)、息子は久隅彦十郎といいました。ともに狩野派門下で絵を学んだのですが、雪信は同じ門下生と駆け落ちし、彦十郎は廓通いが原因で佐渡に配流という子供2人とも不祥事を起こしてしまい、父である守景は責任を取る形で破門になったのです。これをきっかけに順風満帆と思われた久隅守景の人生は狂いを生じてしまいました。

師匠

狩野探幽の高弟で、探幽門下の四天王の一人と称されたほど将来を嘱望されたのですが、子供の不祥事で破門の身となりました。

代表作

  • 「夕顔棚納涼図屏風」(ゆうがおだなのうりょうず・国宝・東京国立博物館蔵)
  • 「賀茂競馬図屏風」(重要美術品・馬の博物館蔵)
  • 「四季耕作図屏風()」(しきこうさくず・重要文化財・石川県立美術館蔵))

ここに注目

  • 形骸化しつつあった狩野派の中でも守景は、自由にのびのびと大和絵や南画の手法をとりいれて、独自の画風を確立。
  • 「夕顔棚納涼図屏風」は守景が理想とした家族の肖像ともいわれています。三人のなかの女の人は妻とも娘清信ではないかとも言われています。息子は久隅彦十郎でしょうか。日本の絵画史の中で、初めて描かれた家族の肖像だと言われています。
  • 前田家に招かれて金沢に滞在したときは、九谷焼の陶画を描きました。最高級の骨董として有名な「古久谷」の五彩色の様式は守景の指導によるものと言われています。

管理人のコメント

久隅守景は好きな画家の一人です。狩野派の画家であるという一言だけでは言い切れない画風が彼にはあります。雪舟を思わせる太い線描やちょうどバランス取れた構図といい、確かに一流の腕を持った名人に間違いないと思います。伝記上わからないことが多いのでいろいろ資料的発見があるといいですね。もちろん作品もですが。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
QLOOKアクセス解析