川瀬巴水(かわせはすい) 1883-1957(明治16-昭和32)
川瀬巴水は明治から大正、昭和にかけて活躍した木版の版画家です。
生まれ年・場所
1883年(明治16年)5月18日東京市芝区露月町(現在の港区新橋5丁目)に生まれました。
亡くなった年・場所
1957年(昭和32年)東京大田区池上町(現在の上池台2丁目)の自宅で胃がんのため亡くなりました。74歳。
両親や親戚、家系のこと
父は庄兵衛、母はかん。家は糸屋(糸組物職)で江戸職人の家系。母親の兄(異父兄)が仮名垣魯文(戯作者)。
画家になったきっかけ
幼い時から母親の影響で、武者絵や役者絵を見て育ったといわれます。浮世絵の接触が多かったようです。
師匠
鏑木清方に師事したのは27歳の時です。一度25歳の時に、門をたたいていますが、「年取り過ぎ」という理由で断わられ、
そのかわり洋画の道を勧められました。そして岡田三郎助の指導の下洋画をまなび(仲間には岸田劉生がいました)、
2年後清方に入門したのです。洋画の習得はのちの巴水版画に大きな影響を与えたといわれています。
代表作・作品数
- 「塩原おかね路」
- 「塩原畑下り」
- 「塩原しほがま」
- 「旅みやげ第一集」
- 「東京十二題」
- 「東京十二ヶ月」
- 「旅みやげ第二集」
- 「日本風景選集」
- 「旅みやげ第三集」
- 「東京二十景」
- 「東海道風景選集」
- 「日本風景集 東日本編」
- 「日本風景集 関西編」
- 「新東京百景」
- 「朝鮮八景」
そのほか単独作品多数
一枚物の版画作品で約600枚。団扇絵・絵葉書・クリスマスカード類を加えると
800点越す作品を残したといわれています。
同時代の画家や知り合い
清方一門には伊藤深水、小早川清、山川秀峰がいました
異名・愛称
「昭和の広重」という異名をとりました。
主な功績
大正初期から起こった「新版画運動」の一員としてデビュー作以降約40年間、風景版画を生み出しました。
ここに注目
- 見るものの心に郷愁や旅への憧れを誘う画風
- 関東大震災以前のものが評価が高い(上のリストの上から8つ)
- 近代風景版画の第一人者
- 国内より海外のほうが評価が高い
主な展覧会や回顧展
- 「抒情の詩 大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展」山梨県立美術館(1990)
- 「川瀬巴水版画展」昭和女子大学 光葉博物館(1997)
- 「近代版画にみる東京-うつりゆく風景-展」江戸東京博物館(1996)
- 「美しき日本―大正昭和の旅-展」江戸東京博物館(2005)
- 「版画にみる東京の風景展」大田区立郷土博物館(2002)
- 「大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展」島田市博物館・ニューオータニ美術館・高浜市やきものの里かわら美術館・南アルプス市立春仙美術館(2005-2006)
書籍
参考文献
- 「大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展」図録(2005-2006)
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